1行紹介

かつてICF-5800をこよなく愛したBCL復活組です。

自己紹介文

私とラジオの付き合いについて、すこし書いてみたいと思います。


私が始めて短波放送というものを知ったのも中学入学のときでした。
中学入学のお祝いということで、叔父から中古のラジカセ(新品を買って
くれてもよかったんですよ、叔父さん!)を譲り受けました。


新しいおもちゃを手にしたときの男の子は大抵そうだと思いますが
私もその日の夕方から、取扱説明書などを脇において
いろいろといじくりまわしました。
カセットに自分の声を吹き込んでみたり、FM放送を録音してみたり・・・
と、よく見るとラジオのダイヤルの部分に、今まで見たことのない文字が。


「SW」


なんだこりゃ?


「AM」は普通のラジオとして知っていました。
「FM」はその頃友達の間でようやく流行始めて、音楽番組を聴いては
「エアチェック!」などと気取るのが、如何にも田舎の子供らしかったと
思います。


しかし・・・「SW」


・・・聞いたこともありません。


とりあえず、スイッチを「SW」に合わせました。


固定式のダイアルで、廻すとカーソルが左右に移動するタイプです。
SWのところには「4」「5」「6」・・・「12」の数字・・・まったくもって意味不明。


で、そのままダイヤルをぐるぐると廻してみると、中国語やら朝鮮語やら英語やら
いつものラジオの比ではない、いろいろな言葉と、そしてなによりも強烈な雑音!


な・な・なんじゃこりゃーーー


と中学に入学したばかりのHadzuki少年は、すっかり度肝を抜かれてしまいました。

そんな折、ダイヤルを廻す速度を少し落として、(記憶では)「10」あたりを過ぎた
あたりで、ふと日本語が聞こえました。


・・・けっこう普通のNHKと同じくらいの明瞭さで聞こえてきます。


・・・なにやら、ニュースのようです。


そして・・・


「こちらはモスクワ放送局」


昭和50年4月上旬の、とある夕刻のことでした。


それから、私がBCL少年となっていったことは言うまでもありません。


ちなみに、少しして分かったことですが、譲ってもらったラジオのダイヤルは
だいぶイカレていて、5MHzの標準時報局JJYが、「5」と「6」の中間あたりで
聞こえるようなシロモノでした(笑)


もっと聞きたい・・・と、小遣いと誕生日(8月)を抱き合わせてにして
買ってもらったのが、ソニー製のICF-5800。いわゆるスカイセンサー5800。
後にBCLブームのピークを牽引することとなるスカイセンサー5900は
まだ発売されていませんでした。


それから大学を卒業するまでの10年間。故郷の部屋でも、一人暮らしの
アパートでも、いつでもラジオは、私と付かず離れず、共にありました。


さて、大学を卒業し、就職すると、通勤のために職場近くのワンルームに
引越しました。
鉄筋コンクリートの部屋で、学生時代の木造アパートのように、
勝手にアパートの脇に5mの垂直アンテナを立てるわけにもいかず
(大家さんゴメンナサイ!)
電波が受信できない環境に入ったことにより、徐々に私とラジオの
関係も薄れていきました。


入社して半年ほど経って、会社の仲間とすし屋に入ったことが
あります。
その店は、ずっと1242kHzのニッポン放送を流しっぱなしに
している店でしたが、そこで会話もひと段落したとき・・・
時もちょうど21時の時報直前。ニッポン放送のアナウンサーの声が
一瞬静まった裏で、しっかりとモスクワ放送のインターバルシグナルが
聞こえていました。
なぜが鼻の奥が「グシュ」としたことを覚えています。


昭和60年の秋のことでした。


もうあれから20数年。
ここにきて、BCL復活とは・・・趣味とは面白いものです。
そして、周りを見れば、同じような道を辿ってきた「BCL少年」
(私の妻は「BCL少女」でしたが)が雨後の筍のように
ニョキニョキとインターネットにブログを立てているではありませんか!
なんだが、それっぽい書籍は出版されているではありませんか!
「お便りコーナー」を聴けば、どこの日本語放送でも、
そんな「かつてのBCL少年」が、わんさか、わんさか。


・・・みんな、やっぱり、ラジオが好きなんです。

興味のあること

BCL、猫、トレッキング/登山、映画は猫映(主催者)